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ニュースレターNo.10 「偏光フィルムの製造法 判例解説」

<概要>

今回は、平成17年 (行ケ) 第10042号 特許取消決定取消請求事件について検討してみました。
この事件は、原告特許権者の「偏光フィルムの製造法」の特許につき、平成15年法律第47号施行 (平成16年1月1日) 前にされた特許異議申立てについて、特許出願の願書に添付した明細書の記載不備を理由に特許庁が特許取消決定をしたため、これに対し、原告が決定の判断の誤りを主張して、その取消しを求めた事案です。
本件訴訟においては、明細書の記載の適法性、即ち、発明が特許法第36条の規定に適合するように開示されているか否かが争われました。主要な争点は、下記の三点、即ち、
(i) 明細書のいわゆるサポート要件ないし実施可能要件の適合性の有無
(ii) 実験データの事後的な提出による、明細書の記載内容の記載外での補足の可否、及び
(iii) 特許・実用新案審査基準の遡及適用の可否
にありました。

本件特許出願 (特願平5-287608号、取消された特許の番号は第3327423号です) の特許請求の範囲 (請求項1) は下記の通りです。

「【請求項1】 ポリビニルアルコール系原反フィルムを一軸延伸して偏光フィルムを製造するに当たり、原反フィルムとして厚みが30〜100μmであり、かつ、熱水中での完溶温度 (X) と平衡膨潤度 (Y) との関係が下式で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルムを用い、かつ染色処理工程で1.2〜2倍に、さらにホウ素化合物処理工程で2〜6倍にそれぞれ一軸延伸することを特徴とする偏光フィルムの製造法。
Y > −0.0667X + 6.73・・・(I)
X ≧ 65 ・・・(II)
但し、X : 2cm×2cmのフィルム片の熱水中での完溶温度 (℃)
Y : 20℃の恒温水槽中に、10cm×10cmのフィルム片を15分間浸漬し膨潤させた後、105℃で2時間乾燥を行った時に下式浸漬後のフィルム重量/乾燥後のフィルムの重量より算出される平衡膨潤度 (重量分率) 」

1. 異議決定の理由の要点

(a) 特許請求の範囲に記載された二式が規定する範囲は、広範囲に及ぶものであり、この数式を満たすものが全て本発明の効果、即ち、優れた偏光性能及び耐久性能を奏するとの心証を得るには、実施例が十分ではない。本件明細書の記載及び当該分野の技術常識に照らして、上記二式を満足するものが上記の優れた効果を奏するとの確証を得られるものではなく、上記二式が、どのようにして導き出されたのか、その根拠、理由が不明である。故に、本件明細書の特許請求の範囲の記載は、特許法第36条第5項第1号の規定に違反するものである。

(b) 上記二式が満たす範囲は広範囲に及ぶところ、どのような製造条件であれば、上記二式を満たし、かつ偏光性能及び耐久性能に優れたフィルムが得られるのか、発明の詳細な説明を参酌しても不明瞭である。故に、本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者が容易に実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果が記載されたものとは認められず、特許法第36条第4項に違反するものである。

2. 原告主張の決定取消事由及び被告の反論の要点

裁判所の判断の要点と重複するので省略します。

3. 裁判所の判断の要点

(a) 取消事由(a)について

(i) 特許法第36条第5項は、「第3項4号の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。」と規定し、その1号において「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。」 (サポート要件) と規定している。

特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲と発明の詳細な説明とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明であり、かつ発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決し得ると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。そして、明細書のサポート要件の存在は、特許出願人又は特許権者が証明責任を負うと解する。

特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには、明細書の発明の詳細な説明に、当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならない。本件発明は、いわゆるパラメータ発明に関するものである。このような発明において、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するためには、発明の詳細な説明は、その数式が示す範囲と得られる効果 (性能) との関係の技術的な意味が、特許出願時において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか、又は、特許出願時の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果 (性能) が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要するものと解する。

本件明細書の記載が、本件請求項1の記載との関係で、明細書のサポート要件に適合するか否かについてみると、発明の詳細な説明には、本件請求項1に記載された構成を採用することの有効性を示すための具体例としては、実施例が二つと比較例が二つ記載されているに過ぎない。

本件発明は、原反フィルムとして用いられるPVAフィルムが満たすべき完溶温度 (X) と平衡膨潤度 (Y) とが、請求項1に規定された二式で画定される範囲に存在する関係にあることにより、所望の性能を有する偏光フィルムが得られるというものである。しかし、少なくとも、上記範囲が、式(I) 及び式(II) を基準として画されるということが、本件出願時において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できるものであったことを認めるに足りる証拠はない。

また、別紙1の第1図に見るとおり、二つの実施例と二つの比較例との間には、式(I) の基準式を表わす実線以外にも、他の数式による直線又は曲線を描くことが可能であることは自明である。加えて、上記四つの具体例のみをもって、上記斜めの実線が、所望の効果 (性能) が得られる範囲を画する境界線であることを的確に裏付けているとは到底言うことができない。

そうすると、発明の詳細な説明におけるこのような記載だけでは、本件出願時の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果 (性能) が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示しているとは言えず、本件請求項1 の記載が、明細書のサポート要件に適合するということはできない。

(ii) 原告は、本件異議申立ての審理段階で提出した10点の実験データと明細書記載の4点の実験データを参酌すれば、式(I) 及び式(II) の二式を導き出すための具体例の数としては十分であり、上記二式を満足するPVAフィルムが優れた効果を奏するとの確証を得るにも十分であるのに、決定はこれを全く考慮せずに、明細書記載の実施例1、2及び比較例1、2の合計4点のみを基にしている判断は誤りであると主張する。

しかし、発明の詳細な説明に、当業者が当該発明の課題を解決し得ると認識できる程度に具体例を開示せず、出願時の当業者の技術常識を参酌しても、特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できると言えないのに、特許出願後に実験データを提出して、明細書のサポート要件に適合させることは、特許制度の趣旨に反し許されない。

(iii) 原告は、本件出願時において、本件発明のようないわゆるパラメータ発明に関する特許出願については、明細書に実施例として根拠となるすべての実験データを記載することは要求されていなかったものであり、本件出願後に定められた明細書の記載要件に関する特許・実用新案審査基準を遡及適用して、本件明細書の記載不備のみを理由として取り消すことは極めて不合理であると主張する。

しかし、特許請求の範囲の記載が、特許法第36条5項1号の明細書のサポート要件に適合しているか否かは、特許法の規定の趣旨に則って判断されるべきである。特許・実用新案審査基準は飽くまでも特許庁の判断の公平性、合理性を担保する目的で作成された判断基準であって、行政手続法5条にいう「審査基準」として定められたものではなく、法規範ではない。故に、本件特許出願に適用される特許・実用新案審査基準に特許法の上記規定の解釈内容が具体的に基準として定められていたか否かは、上記の解釈を左右するものではない。

(b) 取消事由(b)について

裁判所は、異議決定の理由(b)に対する被告の反論に対しては判断していません。

裁判所は、上記異議決定の理由(a)に関しての判断のみで、被告の主張を却下しています。


検討

この判決以前は、特許庁の審査においてサポート要件は余り厳格には判断されていなかったようです。しかし、現在では、かなり厳格に判断されるようになっていますので、明細書の作成に際しては相当の注意が必要です。特許権は本来、出願時に完成された発明に与えられるものですから、出願後にデータを追加して完成するようなものであってはならないはずです。サポート要件の厳格な判断は、本来あるべき形に収まったということなのでしょう。わが国のこのような取扱いは、2000年の欧州特許条約のサポート要件に関する審査ガイドラインの見直し、及び2001年の米国におけるサポート要件に関する審査ガイドラインの改定に追随したものです。

本件はパラメータ発明についてのサポート要件に関するものです。しかし、サポート要件の厳格な判断は、パラメータ発明に限らず、単なる数値範囲の記載に対しても適用されています。例えば、成分A : 20〜80質量部及び成分B : 80〜20質量部の合計100質量部を含む樹脂組成物と言う発明に関して、実施例が成分A :50質量部及び成分B : 50質量部を含む樹脂組成物のみであると、およそ殆どの場合にサポート要件不備の拒絶理由が送達されます。従って、サポート要件を具備するように、各成分の含有量が上限値及び下限値付近にある実施例、並びに比較例を出願時から明細書に記載することに心がける必要があります。そうは言っても、それは理想であり必ずしも全てできるとは限りません。従って、この判例で裁判所が述べているように、当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲の値を、好ましい含有量の上限値及び下限値として出願時の明細書に記載しておくことが必要です。そして、拒絶理由に対しては、最悪、その範囲まで減縮すれば拒絶理由が解消し得るようにしておくことです。これを記載しておかないと、新規事項追加との関係で、実施例に記載したピンポイントの値に限定せざるを得なくなり、たとえそれによりサポート要件の拒絶理由が解消したとしても、全く意味のない権利になってしまうおそれがあります。

この判例で裁判所が述べている通り、特許出願後、例えば、拒絶理由通知書が送達された時点で、実験データを追加して明細書のサポート要件に適合させることはできません。このことは、誤解されやすいので注意しておくことが必要と考えます。実験データを追加できるのは、裁判所の言葉を借りれば、あくまでも出願時の当業者の技術常識を参酌して、特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで拡張ないし一般化できる範囲に限られることになります。しかし、このような表現は抽象的で分かり難く、どの程度まで実験データを追加できるのかは、ケースバイケースで考える必要があるのでしょう。

最後に、審査基準の遡及適用に関する問題が議論されています。裁判所は、審査基準は特許庁の審査における単なる内部規定に属するものであり、法規範ではないと判断しています。このように言われてしまえばその通りで、何の反論の余地もありません。しかし、審査基準は審査、審判段階での公平を期すために存在するものですから、単に法規範ではないから関係がないというのもちょっと厳し過ぎるのではないかと考えます。それなら、旧審査基準で判断していた出願との公平性はどのようにして担保するのかと言う問題も生じます。いずれにせよ、どこかで線を引かなければ先には進まないということで、このような判断になったのだと思います。この問題とは別に、意見書又は答弁書では、審査基準の記載を引用して反論することは依然有効であると考えます。

以 上

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